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フィルムリール

さかはら あつし

創造的情報哲学者

道なき道の足跡

私は道無き道を歩んだので理解されにくいと思います。敢えて言うとしたら創造的情報哲学者ということになるのではないか思いますが、誰に出会いどのような影響を受けてきたかその経験をここに記します。私が才能に恵まれた若き起業家の事業に何を託そうとしているのかご理解頂けると嬉しいです。

受験生時代駿台予備校京都校の倫理担当講師より「ヘーゲルの弁証法」を、政経担当講師より「経済学小辞典を読む経済学の学び方」を教わる。
京都大学の教養部時代には教育学者古寺雅男の「天才論」を学ぶ。
京都大学経済学部ではゲーム理論と人的資源の管理工学を恩師伊藤秀史ゼミで学ぶ。
その頃、経済学者Paul Milgrom(2020年にノーベル賞受賞)と出会い親交を深める。
経済学者青木昌彦が尽力してできたスタンフォード日本センター/KCJSのアメリカ人留学生たちとの学生交流団体を作る。
その留学生の中に後にYahooの創業者二人がいましたがジェリー・ヤンと後に結婚するヤマザキ・アキコさんは伊藤秀史ゼミにも参加していた。
後に一緒に映画を作ってカンヌ映画祭でパルムドールをもらったハリウッドの映画監督デービッド・グリーンスパン、エミー賞を受賞するジャーナリストのトリーシャ・ソレルズ・ドイルがいました。二人は顧問となる。現在、シアトル在住の連続起業家のゲリット・ヴァン・ウィンガーデンにも出会う。
大学3年生の夏休みにアメリカのコロンビア大学に留学。台湾の政治家連勝文に出会い親交が始まる。
1993年京都大学卒業後、電通に入社、マーケティング局に配属、電通では後にオスカーにノミネートされる「Perfect Days」の脚本と製作を担当する高崎卓馬、株式会社ひろのぶとを創業する田中泰延と同期。
地下鉄サリン事件の該当車両に乗り合わせ、ビニールの袋から延びた液体を踏み掛けるほどの至近にいたが生き残った。
1995年電通を退社、その頃、松下幸之助に薫陶を受けた経営コンサルタントの宇佐美泰一郎(松下政経塾七期生)に出会い彼の経営コンサルティング会社の役員になる。四国一番札所霊山寺の住職芳村秀全に出会う。
京都大学入学の前年に京都観光中のユダヤ教のラビのロナルド・ホフバーグ氏に出会い助けたことから親交が続いていたが、ホフバーグ氏を頼りにアメリカに渡り、ニュージャージーの彼のもとで一年を過ごす。カトリックの幼稚園、小学校を卒業しているのでキリスト教には馴染みはあったが、ユダヤ教についても体験的に学ぶことができた。
宇佐美泰一郎の紹介でアル・ゴア米副大統領のインターネットスーパーハイウエイ構想の参謀を務めたフランク・バーンズが主宰するインターネットコンサルティング会社のメタネットに一年間研修生として在籍し「非同期での創造コラボレーションの可能性」について独自に研究。
1998年、安藤茂彌のベンチャー情報コンサルティング会社ベンチャーアクセスでインターンのあとカリフォルニア大学バークレー校のMBAプログラムに入学。
1999年、夏休みにハリウッドに向かい南カリフォルニア大学映画大学院の卒業制作の短編映画「Bean Cake」にプロデューサーとして参加。
MBAの2年生の時にスタートアップ、Minds and Technologies, Inc(Palo Alto)に参加。
2000年の卒業後にフルタイムとなるもベネッセコーポレーションと戦略提携のあとシード・ステージの別の投資家で56Kモデムの信号処理の発明で知られるBrent Townsend自身がCEOを務めるOrdinate Corporationに転籍、AIと音声認識技術活用した完全自動口頭英語試験のビジネス開発を担当。社長は言語学者のJared Bernstein.
スタンフォード大学Center for Studies of Language and Infromationに研究留学中に教育言語学者の原田康也先生(早稲田大学・情報教育研究所所長)に出会う。
KDDIパロアルト研究所の伊藤篤先生(中央大学経済学部)に出会う。
2001年短編映画「Bean Cake」がカンヌ映画祭でパルムドール賞受賞後、帰国。
前述のゲリット・ヴァン・ウィンガーデンと携帯電話用暗記カードアプリを開発し事業化を目指す。
2002年、結婚。結婚の直前にかつてオウム真理教に登録していたことがあると打ち明けられる。
2004年、妻と離婚、携帯電話用暗記カードアプリ事業をシャットダウン。
元ゴールドマンサックスの投資銀行マンで友人の岸伸久の経営アドバイザリー会社、岸・アンド・アソシエーツに参加。会長は元電通副社長の百瀬伸夫だった。
BCG草創期にボストンの本社で採用された伝説的経営コンサルタントの矢矧晴一郎に出会い個人的に経営コンサルティングの技術の手解きを受ける。
個人としてコンピューターを用いた学習塾フランチャイズの経営の立て直しやATRCALLのスピンオフも支援した。
この頃、サリン事件被害者の健診団体RSCの理事を務めた。
私塾を開き早稲田大学の学生を中心に経営や英語学習を教える。
金子満に出会いNPOデジタル・コンテンツ・インスティテュートに参加。コンテンツ・ストラテジーというコンテンツ産業従事者のための教育プログラムの開発し実証プログラムで講師を務める。フレンズ、ハンナモンタナの監督のロジャー・クリスチャンセンと出会う。
早稲田大学の中央図書館の哲学の開架図書全てに目を通しながら構造主義をベースにした物語論を独自に研究。
東京工大で行われた在野にいて随一と言われるヘーゲル哲学者長谷川宏の「百科全書派」についての連続講義を聴講する。
体の調子が悪くなり四国一番札所霊山寺の住職芳村秀全に相談すると四国に呼ばれ四国遍路の撮影旅行を命ぜられ一年間カメラを車に載せて四国遍路の撮影旅行をする。
途中、東京丸の内で行われる四国霊場のお砂踏みのPR支援を行う。
四国から諸用で東京に向かう飛行機の中で意識を失い入院、原因不明の腰椎の圧迫骨折をしていた。京都の実家にコルセットをつけて戻る。
自分の見た社会観を生きているうちに体系化しようと「増補 社会原理序説 ―それでも変わらない根本的なこと」(dZERO)を執筆。
放送芸術学院ドラマ映画制作コースで映画作りを現場経験も乏しいなか教えはじめる。
2014年、未曾有の毒ガステロ、サリン事件の後片付けをしようとサリン事件に向き合うドキュメンタリー映画「AGANAI:地下鉄サリン事件と私」の製作を開始。
京都精華大学で英語の授業を担当。
バリュー・エンジニアリング協会の雑誌で独自の創造技法SA法を発表。
大阪市立大学経済学部の英語で経済学を教える授業を担当。
「AGANAI:地下鉄サリン事件と私」が完成。EDIF2021ではグランプリを受賞。映画は世界で評価され映画批評サイトのRotten TomatoのTomato Meterは満点。 
宇都宮大学地域創生科学研究科博士課程後期に所属して創造技法SA法の研究開始。
ペンクラブの会員に。
IEEEにて創造技法SA法に関する論文(英語)を発表。
ピーナッツ一粒ですべてを変える」(集英社文庫)を小説として発表。
2023年、代表を務めるサリン事件被害者の会が警視庁のホームページに掲載される。全国の高校で「AGANAI:地下鉄サリン事件と私」を上映しその個人収益の半分を他の被害者の支援に使いたいと準備している。

サリン事件に対する自分なりの一連の後片付けを終えた頃、大阪市立大学経済学部の二回生、藤川翔帆に出会い英語学習支援コンサルティングの株式会社ロジグリッシュを共同創業。知見とネットワークを活かして各種新規ビジネスを株式会社ロジグリッシュにて開始。現在に至る。

ピーナッツ一粒ですべてを変える_さかはらあつし_高崎卓馬
増補 社会原理序説 ―それでも変わらない根本的なこと
直線は最短か
プロアクティブ学習革命
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